「違和感」に想う世界を変える発想の源泉

2011/12/16

日本のドラマ(もしくは汎用映画)って、どうしてあんなに違和感ありまくりなんだろうか
「そんなシーンないでしょ、どんだけ作り物だよ」とか
「そんな言い方しないでしょ」とか
「そんな展開おかしいでしょ」とかいうものが多いように思う。

一瞬見たものの積み重ねではあるけれど、昔っから主張しているこういった内容は残念ながらいまだに変化ない様子。

人に感動を与える要素は何か?
これを今一度見直した方がいいのかな?
そう思う。

ちょっと話は異なるが、細野原発相が原発発生時迅速に状況判断ができなかった事について話していた。
要は、一見は百聞に如かず。
報告が混乱している状況ではこれに勝ることはないわけだ。
Googleは人間の脳のサポーターを目指した。
人間の脳は情報が入ってきすぎると混乱する。
彼らはそれによって生まれるストレスにチャレンジしている。

でも十分とは思えない。

またまた話は変わるが、
日々使う色々な製品について思う事がある。
愛用のiPhoneやiPadにでさえ…
「なんでこんな作り方するの?死ぬほど使いにくいじゃない」とか
「どう考えればこうなるの?ここポイントでしょ」とか
「おかしいでしょ、この動作、やるなら徹底しなさいよ」とか
「そう動くなら、事前にいいなさいよ、知らないよ」とか。。。

“完成”への道のりは残念ながら「人間」だからこそ遠く難しい。
問題はゴールのイメージがどれだけ鮮明に見えているかだ。
これがなければ、途中経過でカーブがかかると
無駄に動揺してしまって時間を無駄にする。
人生は短い。

さて、僕らは「違和感」と「人間の手助け」の為に何をしようかね?

ゴールは世界を変えること。
結果で人々は理解する。

さぁやってやろうじゃないか。
ゴールへの恋と、思考プロセスを無駄だと思う人は
無視すればいい。

結果を出せば評価なんていくらでもひっくりかえせる。
つまるところ自信があれば動じることなんて世の中にない。
嘲笑されてこそ価値!

僕らは必ず世界を変えていける。

どこぞのサービスのように
「なくなっても誰も困らない」と言われないよう。
可能性、ジャパン!!

Leave a Comment