世の中は「あ、そうなんだ」が多すぎる。

2010/12/14

ふと散歩をしている時に世の中は「あ、そうかも」とか「そういうことか」といった事がかなり多いと感じた。

新しい発見があって良いじゃないかという意見もあるでしょうが、その人にとっては新しいものでも、人類からみれば新しい事ではない。僕はどうもここが気に入らない。選択ができない事が。

これらは考えてみればこれはインターネットの一般化によって気付けたとも言える部分。
そこに情報はあるのに探せない人は、生活効率に変化向上を加える事ができにくい。
人生についてでも、世の中の仕組みでも、考えを持ってゆく方向についてでも、当然人間関係においてもそうですよね。

僕らは成長の為に色々な事を学んだり、暗闇で物を考えて考えて考えて結論を導いたりする。でも僕はこれがどうも面倒で人類の文化進化に障害を生んでいるよう感じてしまう。
最初から知っていたら適切な判断ができた。
最初から知っていたら最短で最高の生産ができた。
といったもの。

じゃ、僕ら人間は不要で、ロボがいいのか!
といった類の議論はこの際おいておいて、僕がこう感じるのは、芸術類出身だからそういう考えが物の考え方だからといのもあるだろう。恐らく僕自身の経験(脳)スペックとして、比較的面倒を取り除こうとする部分だったり、時に正確に合理性を「願えば今すぐ」選択できる環境を求める部分が前提としてあるのに、瞬間的な思考判断に不満を感じているからなんだろうと思う。

ビジネスにおいても、発想においても、こうだったいいじゃん、これっておかしいじゃん、なんでだれもやんないの?、という事は掃いて捨てるほど満ち溢れている。
勿論、一般的にはこれをアイデアというのかもしれないけれど、実際形に出来るプロセスが最も重要なのであって、思うだけでは妄想ってやつですよね。

じゃ、実際形にできないのはなぜか、テーブルの上に食材はそろっているのにそれを調理できないのはなぜか?シェフがいないからか、腕が未熟だからか、包丁などの道具がないからか、ガスや電気が通っていないからか、作り方が分からないからか。

僕らMaterialToneはこの先こう言った未解決部分の「普遍的な部分」包括的に考える事をビジネスにしたいと思うのです。

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